2010年4月7日水曜日

鎌倉湘南3 (本覚寺)

身延山から日蓮の遺を分骨したため「東身延」と称し日蓮宗の寺として格式の高さを誇っている。七福神の恵比寿神をまつった八角形の夷堂がある。寺内で百日紅の大樹や栴檀、蝋梅、牡丹が花を咲かせる。(参照 from 鎌倉Today)

配流地の佐渡から鎌倉へ戻った日蓮が夷堂に滞在したといわれる。その夷堂跡に日蓮上人の弟子である一乗日出(いちじょうにっしゅつ)が1436年に開山。鎌倉幕府にとって夷堂の場所は、裏鬼門という不吉な方角にあたるということで、源頼朝が七福神のひとつである夷神を守り神として祀ったとされる。(参照 from 鎌倉ツリープ)

 1) 本覚寺(ほんがくじ)・宝殿
山号を妙厳山といい、永亨8年(西暦1436年)に開基を足利持氏、開山を日出上人として創建された日蓮宗の寺院で、ご本尊は釈迦三尊、寺内には岡崎五郎正宗のものと伝えられる墓があります。 この場所は、もともと鎌倉幕府を開いた源頼朝が、幕府の裏鬼門に当るとして、恵比寿を守護神として祀ったところとされており、鎌倉七福神の一つである夷堂があります。 文永11年(西暦1274年)に佐渡流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人が、この夷堂に滞在して布教を再開し、その後、甲斐国の身延山に入って久遠寺を建立し本核的に日蓮宗の布教を行いました。 室町時代に入り、関東管領の足利持氏が、夷堂があった場所に寺を建て、日出上人に寄進し、身延山から分骨した日蓮上人の分骨が納められたことで、別名「東身延」ともいわれています。岡崎五郎正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国鎌倉で活動した刀工で、「相州伝」と称される作風を完成し、多くの弟子を育成しました。  ( 参照 from http://www.esquare-kamakura.net/ )
2) 本覚寺(ほんがくじ)・本堂

3) 本覚寺(ほんがくじ)・本堂

4) 本覚寺(山門左側)

5) 本覚寺(山門右側)

6) 本覚寺(脇門から)

7) 本覚寺・山門(仁王門)

8) 本覚寺・山門(仁王門)

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