吉野山とはサクラの名所として知られる下千本、中千本、上千本、奥千本がある山域を指し、最高峰は最奥の青根ヶ峰(858m)とするのが一般的であるが、南朝大塔宮の詰城跡である高城山(698m)を吉野山の山頂としている資料もある。
大峰信仰登山の根拠地であり、日本史上の転回点にもたびたび登場している。古くから花の名所として有名。この一帯は1936年吉野熊野国立公園に指定されている。さらに吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が2004年7月、『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。
大峰信仰登山の根拠地であり、日本史上の転回点にもたびたび登場している。古くから花の名所として有名。この一帯は1936年吉野熊野国立公園に指定されている。さらに吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が2004年7月、『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。
( 参考 from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B1%B1 以下、同じ)
2) 奈良(吉野桜・下千本)
吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場で修行道大峯奥駈道の北の入口である。役行者(役小角:えんのおづぬ)が刻んだとされる蔵王権現を本尊とする金峯山修験本宗総本山金峯山寺(きんぷせんじ)がある。修験道練行の山々を峰中(ぶちゅう)と呼び、南の熊野を発して吉野に至るのを順峰、吉野からの縦走を逆峰と呼んだ。この道も役行者が開いたとされている。
3) 奈良(吉野桜・下千本)
吉野山には古来桜が多く、山すそから順に 下・中・上・奥の4箇所に約3万本の桜の原種である白山桜(シロヤマザクラ)が密集する名所である。いずれも「一目千本」と呼ばれ、おのおの下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と称えられている。4月初旬から末にかけて山下から山上へ順に開花してゆく。この期間おびただしい花見客が吉野を訪れる。
4) 奈良(吉野桜・下千本)
672年大海人皇子(のちの天武天皇)は、当時の大津の都を離れて出家して吉野山に隠棲したが、兄の天智天皇の死の知らせを受けて美濃へ脱出し兵を上げ、天智天皇の子の大友皇子を倒して政権を握った。→壬申の乱
このとき大海人皇子が吉野について詠んだ歌。「よきひとのよしとよくみて、よしといひし、よしのよくみよ、よきひとよくみつ」(『万葉集』)は有名。
5) 奈良(吉野桜・下千本 高札)
源頼朝の追討を受けた義経・弁慶らは吉野山で静御前と別れて東国へ脱出したと言われており、吉野山内にもいくつか旧跡がある。
6) 奈良(吉野桜・下千本)
1336年後醍醐天皇は神器を持って京都を逃れ、吉野山に別の朝廷(南朝)を置いた。これ以後1392年までが南北朝時代で、吉野朝廷には後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の南朝側天皇が続いた。この時期の多数の戦乱を受けて、「歌書よりも軍書に悲し吉野山」と言われた
7) 奈良(吉野桜・下千本 道標:伊勢・高野)
8) 奈良(吉野桜・下千本)
9) 奈良(吉野桜・下千本)
10) 奈良(吉野桜・下千本)
11) 奈良(吉野桜・関屋の桜:黒門付近)
七曲坂を登りきり、大橋から左にロープウェイ山頂駅を見、黒門までの回りの桜を関屋の桜といいます。その名は、その昔このあたりに吉野山の関所があったことから、関屋桜と呼ばれるようになりました。その昔大阪平野の豪商末吉勘兵衛が植えた桜といわれ、薄紅かかった美しい一重のシロヤマザクラで、四月上旬から中旬頃まで見られます。
( 参照 from http://www.yoshida-mfc.com/sakura/sakurahist6.html )
七曲坂を登りきり、大橋から左にロープウェイ山頂駅を見、黒門までの回りの桜を関屋の桜といいます。その名は、その昔このあたりに吉野山の関所があったことから、関屋桜と呼ばれるようになりました。その昔大阪平野の豪商末吉勘兵衛が植えた桜といわれ、薄紅かかった美しい一重のシロヤマザクラで、四月上旬から中旬頃まで見られます。
( 参照 from http://www.yoshida-mfc.com/sakura/sakurahist6.html )
12) 奈良(吉野桜・下千本)
13) 奈良(吉野山・金峯山寺・仁王門)
14) 奈良(吉野山・金峯山寺・蔵王堂)
金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある天台宗単立の寺院で、修験道の本山である。本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角(えんのおづぬ)と伝える。
金峯山寺の所在する吉野山は、古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは、単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称であった。
金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある天台宗単立の寺院で、修験道の本山である。本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角(えんのおづぬ)と伝える。
金峯山寺の所在する吉野山は、古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは、単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称であった。
15) 奈良(吉野山・金峯山寺・蔵王堂)
16) 奈良(吉野山・金峯山寺・蔵王堂)
18) 奈良(吉野山・金峯山寺・蔵王堂)
19) 奈良(吉野山・金峯山寺)
20) 奈良(吉野山・金峯山寺・蔵王堂)
21) 奈良(吉野山・金峯山寺・久富大明神)
22) 奈良(吉野山・東南院 多宝塔)
東南院(とうなんいん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の持護院。金峯山修験本宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は大峯山。開山は役行者。 創建年は、7世紀後半 霊地霊山は、霊地を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願した。金峯山寺より東南に位置する。現在は宿坊も営む。
( 参照 from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8D%97%E9%99%A2_(%E5%90%89%E9%87%8E%E7%94%BA)
東南院(とうなんいん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の持護院。金峯山修験本宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は大峯山。開山は役行者。 創建年は、7世紀後半 霊地霊山は、霊地を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願した。金峯山寺より東南に位置する。現在は宿坊も営む。
( 参照 from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8D%97%E9%99%A2_(%E5%90%89%E9%87%8E%E7%94%BA)
23) 奈良(吉野山・東南院 多宝塔)
24) 奈良(吉野山・東南院 多宝塔)
25) 奈良(吉野山・東南院 山門・本堂)
26) 奈良(吉野山・東南院 山門)
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