2010年4月26日月曜日

権現庭・山王神社 10.04 中旬

01) 山王神社(鳥居)

山王神社(さんのうじんじゃ)は、山王信仰に基づいて各地に存在する神社。  山王信仰(さんのうしんこう)とは、比叡山麓の日吉大社滋賀県大津市)より生じた神道の信仰である。日吉神社日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。  

02) 山王社(社殿)


山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉(ひえ)神社(大社)の別名である。
日吉神社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。
( 参照 from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E4%BF%A1%E4%BB%B0 )




03) 山王神社(お地蔵さん)


04) 山王神社(鳥居)

比叡山に天台宗延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。天台山国清寺が地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み、延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。
そして天台宗・延暦寺の守護神としての崇敬が、山王信仰へと発展しやがては「山王神道」とも呼ばれる信仰をも派生させた。山王神道では山王神は釈迦の垂迹であるとされ、「山」の字も「王」の字も、三本の線とそれを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。また天台密教は、鎮護国家増益延命息災といった具体的な霊験加持祈祷によって実現するという体系(使命)を持ち、山王にも「現世利益」を実現する霊威と呪力を高める性格を与えたようである。
( 参照 from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E4%BF%A1%E4%BB%B0 )


05) 山王神社


06) 山王神社(善行小-引地川ポンプ場)



07) 権現庭


08) 道祖神(権現庭:)


2010年4月25日日曜日

10.04 中旬 聖ヶ谷(ヒジリガヤト)

01) 道端の野花
厚木から南下してきた藤沢宿への古道道端


02) 道端の道祖神
道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍のである。集落の境やの中心、村内と村外の境界やの辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、古い時代のものは男女一対を象徴する ものになっている。餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残る。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や 交通安全の神として信仰されている。 元々は中国の神、朝鮮半島のチャンスン信仰にも由来する[要出典]とされるが、はっきりとはしない。 日本に伝来してからは、初期は百太夫信仰や陰陽石信仰となり、民間信仰の神である岐の神と習合した。 ( 参照 from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9E )


03) 聖ヶ谷(ヒジリガヤト) の由来

04) 聖ヶ谷 の道標(庚申塔)


05) 聖ヶ谷 の道標(庚申塔)
「左 ふじ沢、 右 ひき志 」


06) 聖ヶ谷 の道標(庚申塔)
「左 ふじ沢、 右 ひき志 」


07) 聖ヶ谷 の伏見稲荷
道標(庚申塔)から「左 ふじ沢 」方面へ 約20m


08) 聖ヶ谷 の伏見稲荷
道標(庚申塔)から「左 ふじ沢 」方面へ 約20m


09) 聖ヶ谷・伏見稲荷の先 何を待つか黒猫
道標(庚申塔)「左 ふじ沢 」 から古道約50m


10) 聖ヶ谷・伏見稲荷の先、何を待つか黒猫
道標(庚申塔)「左 ふじ沢 」 から古道約50m



11) 春の兆しか道端の花開く



12) 春の兆しか道端の花開く


13) 春の兆しか道端の花開く


14) 春の兆しか道端の花 開く


15) 春の兆しか道端の花 開く


16) 春の兆しか道端の花 開く


17) 春の兆しか道端の花 開く


18) 春の兆しか道端の花 開く

10.04 中旬 石川丸山谷戸

01) 天神小側から ”石川丸山谷戸” への小道

1 里地里山保全等地域の選定
(1) 名称及び概要
藤沢市石川丸山谷戸里地里山保全等地域
  藤沢市の中部、引地川の東部に位置し、新興住宅地に隣接する斜面樹林とその裾にある田畑で構成され、良好な里地里山景観が残る地域です。 援農ボランティアや地域住民等による、保全や再生等のための取組が行われており、市の総合計画においてもその保全が位置付けられています。<面積:約11ヘクタール>
(2) 選定年月日
   平成21年9月15日


02) 天神小側から谷戸への小道


03) 天神小側から谷戸へ


04) 石川丸山谷戸(ホタルの里)


05) 石川丸山谷戸(ホタルの里)


06) 石川丸山谷戸(ホタルの里)案内板


07) 石川丸山谷戸(ホタルの里・左折進入 from 秋本橋)


08) 石川丸山谷戸


09) 石川丸山谷戸


10) 石川丸山谷戸


11) 石川丸山谷戸


12) 石川丸山谷戸


13) 石川丸山谷戸


14) 石川丸山谷戸 (引地川方面)


15) 石川丸山谷戸 (脇の竹林)


16) 石川丸山谷戸を望む (権現庭方面から)


16) 石川丸山谷戸への進入路 (権現庭方面から)


2010年4月24日土曜日

持瀬(藤沢市)風景 10.04.中旬

01) 高野山 真言宗  成就院
                所在地 : 神奈川県 藤沢市 大庭 8157


02) 成就院

「山号は稲荷山、真言宗、古くは宝染寺と呼ばれ、山号伊豆守(文和三年1354没)が開いたとされています。江戸時代は大庭神社の別当寺をつとめていました。本尊は市内でも珍しい愛染明王(あいぜんみょうおう)です。弘法大師霊場相模国準四国八十八箇所の第三十四番札所でもあります。藤沢市」


03) 成就院 ・ 珍木(由来明記)

鎌倉市深沢小学校の裏山に繁茂していた推定500年以上の椿の古木
大日如来を後から彫りこみ当寺に奉納された



04) 成就院 ・ 珍木(由来明記)

『 この本体は、鎌倉市深沢小学校裏山の共同墓地中心部に繁茂していた推定五百年以上の椿の古木です。 平成七年十一月元禄以前より続いている旧家の墓地造成の為、椿の古木の根を掘り出し皮をむくうちに鶴亀が表面に現れ裏面には鯛、貝、男性・女性のシンボル。 そして出産等の縁起の良い古木と感動し住職と相談のうえ大日如来の彫刻をしました。 墓地から出土した物の由、成就院へ家内安全・安産の佛として奉納致しました。 』


05) 大庭神社(引地川親水公園脇)

創建年代は不詳ですが、延喜式内社として延喜式にも名を載せる歴史ある神社です。 (延喜式内社とは平安時代醍醐天皇の頃に作られた延喜式と言う法律の神名帳に載る神社です。神奈川県には、武蔵国に一座、相模国に十三座ありました。)以前の位置は大庭1846番地にある熊野神社が旧跡といわれ、現在の位置に至っています。
( 参照 from http://www.ikuzo-sakurai.org/homeTown/obajinjya.html )


06) 大庭神社・「大庭神社之由来」

当大庭神社は御祭神として×古神皇産霊尊を奉祀し延喜式内郷社なり。藤沢市稲荷九百九十八番地に鎮座せらる相模十三社の一つにして小社列せられ当地は往古より旧地なりと伝承す。当社配神大庭三郎景親公は第百十八後桃園天皇の御代安永六年十月神祗白川従二位伯資顯王に依って勸請せられ同じく配神菅原道真公は第百十九代光格天皇の御代天明三年秋地頭諏訪部定太郎名主山崎六郎兵衛包高等の願に依り勸請せられ霊験灼にして普く庶民の守護神であり氏子崇敬者の支柱の神と世代に伝えられますー案内板ー (×判読不能)
( 参照 from http://www7a.biglobe.ne.jp/~aki1025/ooba.htm )


07) 大庭神社・石塔(正面)


08) 大庭神社・石塔(側面:年号)


09) 大庭神社・参道階段(上から)
10) 大庭神社・境内


11) 大庭神社・境内


12) 大庭神社・本殿


13) 大庭神社・本殿


14) 大庭神社・桜満開


15) 大庭神社・桜満開


16) 日枝社(山王様)

17) 日枝社(山王様)の由来碑


18) 日枝社(山王様)の由来碑 拡大


19) 日枝社(山王様)