1) 海上からの
横浜ウォーターフロント・MM21 - シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
※シーバス: 横浜駅東口⇔みなとみらい⇔赤レンガ倉庫⇔山下公園
を結ぶ海のアクセス。
MM21・ 時刻表(10am~) :毎時20/50発、
2) 海上からの 横浜ウォーターフロント・MM21
- シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
~ いざ、レンガ倉庫経由で山下公園へ(思いの外、気持ちいい♪) ~
3) 海上からの
横浜ポートサイドエリア- シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
~ 逆方向の横浜駅東口行きのシーバスとすれ違う ~
4) 海上からの
横浜赤レンガ倉庫- シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
~ 陸(オカ)から見るのとは異なる好景観(天気も良いし) ~
5) 海上からの
大黒大橋- シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
~ こんな高い桁下を通過不可の客船が世界の海に航行中とは! ~
6) 海上からの
横浜港大桟橋とMM21超高層ビル- シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
~ いい眺めで爽快な気持ち! ~
7) 海上からの
係留された氷川丸と山下公園一帯
- シーバス(水上バス)・MM21ぷかり桟橋 乗船 -
~ 約20分程の海上の旅! ~
- 参考 from
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。現在は、横浜で博物館船として公開されている。
8) シーバス・山下公園乗降桟橋
~ 左に係留された貨客船・氷川丸 ~
9) リフレッシュした
横浜マリンタワー
~ スマートな立ち姿 ~
- 参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
横浜港開港100周年記念行事の流れの中から、横浜港を象徴するモニュメントを建設しようという計画が起こり1961年に建設された。高さ106m。12,000トン。灯台を意識したデザインとなっており、実際に頭頂部には灯台としての機能も併せ持っていた。ギネスブックにも最も高い灯台として記録されていたが、実際に近隣を航行する船舶に対し灯台としての重要度はあまり高くなかった。
10) 横浜マリンタワー周辺
~ 全面ガラス張りのオープンなデザインにリフレッシュ ~
11) ホテル ニューグランド
~ 山下公園前に位置し、中華街に通じる横道を従えた一画に佇む ~
- 参考 from
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
震災で横浜の多くのホテルが倒壊したのを受け、横浜市の復興計画の一環として建設され、当初は今日で言う第三セクターとして発足した。1927年現在と同じ
渡辺仁の設計による開業時からの建築は本館として現存しており、
クラシックホテルの代表例として名高い。 ホテル料理人の源流のひとつでもあり
ドリアや、
ナポリタン、
プリンアラモード等の料理を生み出し、日本人の食文化に大きく影響を与えた。
12) 陸(オカ)から、麗しい姿の
氷川丸
~ 山下公園の花壇越しに ~
- 参考 from
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
世界的には傑出した存在ではない中級サイズの貨客船ではあるが、
その接客設備とサービスの優秀さによって太平洋を往来する著名人たちに愛用され、数多くの逸話を残した船として知られる。船名は「氷川神社」にちなんだもの。
13) くつろぎの臨海・
山下公園( 老若男女が思い思いに憩いのひと時を )
- 遠くに横浜MM21も望める -
- 参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
山下公園は、関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが、瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。
14)
山下公園芝生での楽しい昼食
(課外活動?遠足?)
~ 秋空・青空でのランチタイム ~
15) インド水塔
- 山下公園西端(大桟橋際) -
- 参照 from
http://wada.no-blog.jp/photos/yokohi/hka0003in.html -
関内地区(山下公園)昭和14年に震災で被災した在浜インド人に対する横浜市民からの援助に感謝してインド商組合から寄贈されたインド式水飲場。現在は衛生上の問題からモニュメントとして保存されている。市内の近代建築のうちインドに関する唯一の遺構。イスラム教の寺院、モスクの中庭にある泉亭を思わせる珍しいスタイル、装飾細部はインド風、イスラム風、日本風など様々な要素が組み合わされている。横浜市認定歴史的建造物
16) 横浜港大桟橋
- 遊歩道(山下臨港線プロムナード)から -
17) 横浜港大桟橋 <通称:クジラの背>
(横浜港大桟橋国際客船ターミナル)
- 遊歩道(山下臨港線プロムナード)から -
18) よくぞ残ったレトロな建物
(横浜港大桟入り口脇)
- 遊歩道(山下臨港線プロムナード)から -
19)
象の鼻パーク(奥にMM21)
- 遊歩道(大桟橋進入路)から -
20)
象の鼻パーク(奥にMM21)
- 遊歩道(大桟橋進入路)から -
21) ついつい見逃しそうな展示品
- 歩道(大桟橋進入路)から -
22) 青空に映える大黒大橋
- 歩道脇(大桟橋進入路)から -
23) 神奈川県庁本庁舎
- 参考 from
http://maskweb.jp/b_kanagawa_1_1.html -
竣工: 1928年(昭和3年) 施工: 大林組 構造:SRC5F+B1F+PH
1923年(大正12年)の関東大震災で焼失した前県庁舎の再建にあたり、 設計は、公募による当選作である小尾嘉郎(こび・よしろう 1898-1974)の案をもとに、 我が国の耐震構造学の泰斗である佐野利器(さの・としかた 1880-1956)を顧問に迎え、 神奈川県内務部により実施されました。
昭和初期に流行した帝冠様式の先駆けとなりました。
外壁のスクラッチタイル貼りと中央の高塔が特徴的で、
横浜税関本関庁舎(クイーン)、 横浜市開港記念会館(ジャック)と共に、
横浜の3塔として、「キング」の愛称で親しまれています。
24) 象の鼻パーク
- 遊歩道(大桟橋進入路)から -
~ シンプルにデザインされた公園で、寛ぎ写生を楽しむ人も多く ~
25) 象の鼻パーク
- 遊歩道(山下臨港線プロムナード)下から -
~ シンプルにデザインされた公園で、寛ぎ写生を楽しむ人も多く ~
26) 神奈川県庁本庁舎
( 象の鼻パーク から 海岸通り越し)
27) 横浜税関本関庁舎
( 象の鼻パークから )
- 参考 from
http://maskweb.jp/b_yoko-customs_1_1.html -
竣工: 1934年(昭和9年) 施工: 戸田組 構造:SRC5F+PH
この建物は、3代目の税関庁舎で、 第22代税関長・金子隆三(かねこ・たかぞう 1886-1979)の指示により、 失業者救済を兼ねて建設されました。
特徴的なイスラム風の塔は、
神奈川県庁本庁舎(キング)、
横浜市開港記念会館(ジャック)と共に、横浜の3塔として、「クイーン」の愛称で市民に親しまれています。
横浜税関の塔は、当初、神奈川県庁本庁舎(約49m)より低い約47mの予定でしたが、 金子税関長による「国の機関である税関は県庁より高くすべき」との指示により、 現在の高さ(約51m)になったそうです。 ちなみに横浜市開港記念会館の塔は約36mです。
28) 蔦の絡まるレトロな海洋会館
- 象の鼻パーク 入り口際 -
29) 神奈川県庁本庁舎 正面玄関
30) 神奈川県庁本庁舎
( 正面玄関前の歩道上にある案内看板 )
31) 神奈川県庁本庁舎
32) 横浜市開港記念会館
- 参考 from
http://maskweb.jp/b_yokohamajack_1_1.html -
竣工: 1917年(大正6年)6月 施工: 清水組 構造:S造・レンガ造・RC2F+B1F+PH5F
この建物は、1909年(明治42年)の横浜の開港50周年を記念して、 市民からの寄付金を基に公募設計(コンペ方式)により建設されたもので、 設計原案:福田重義(1887-1971)、実施設計:山田七五郎、佐藤四郎により、 1914年(大正3年)に着工し、1917年(大正6年)6月に竣工しました。竣工当時は貴賓室やビリヤード場も備え、 単に公会堂としてだけではなく、横浜政財界のサロンとしても用いられ、 また演奏会が催されるなど文化施設としての役割も担っていました。
33) 横浜市開港記念会館
竣工: 1917年(大正6年)6月 施工: 清水組 構造:S造・レンガ造・RC2F+B1F+PH5F
1923年(大正12年)の関東大震災では、外壁を残して屋根と内部を焼失し、 その後1927年(昭和2年)に再建されましたが、銅製のドームは修復されず、 内装もやや簡略化されました。 戦時中の被災は免れたものの、戦後、1958年(昭和33年)9月まで米軍の接収を受けました。
1978年(昭和53年)に内装を修理し、さらに、開港130周年、市制施行100周年に当たる1989年(平成元年)にはドームが復元されて、 建設当時の姿がよみがえりました。 1999年(平成11年)11月から行なわれた補修工事では内装、 外装の補修を行なうとともに震災復旧当時の雰囲気を一部再現し、 2001年(平成13年)1月に再開館しました。特徴的な煉瓦造の時計塔は、 神奈川県庁本庁舎(キング)、 横浜税関本関庁舎(クイーン)と共に、 横浜の3塔として、「ジャック」の愛称で市民に親しまれています。
34) 岡倉天心の生誕プレート
( 横浜市開港記念会館 )
35) 横浜中華街東門
- 250m先に山下公園( Hotel New Grand ) -
- 参考 from
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は
神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在する
チャイナタウン(中華街)。以前は
唐人町や
南京町と呼ばれていた。
36) 横浜中華街・市場通り(南)
- 参考 from
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当地の出身者が多い。所在地である中区の
中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている
外国人の約4割にあたる。
37) 横浜中華街・市場通り(北)
~ カラフルな看板・飾付けや熱心な呼込みの別世界 ~
※ 大幅値引きの看板が目につく。 食材・味でもサアー勝負!?
今や住む近所に、美味い中華料理屋は結構ある!
安心な食材・安全な調理・安くて美味ければ遠くても客は来る!
接客も自然体で良ければ、リピーターも大幅増に ♪
約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。
日本では、
神戸南京町や
長崎新地中華街とともに三大中華街とされる。
~ ザーサイ・ピータン・ラー油etc., 当たりー♪ ~
39) 横浜中華街・香港路(南)
- 参考 from
http://ja.wikipedia.org/wiki/ -
1866年(
慶応2年)の横浜新田慰留地から数えると150年弱の歴史をもつことになるが、中華料理街として現在のような発展を始めたのは早くとも
1955年(
昭和30年)以降であり、それ以前はカフェが主であった
40) 海員閣
(横浜中華街・香港路)
丁度、7-8名の客が出ていきラッキーにも座れた。 知る人ぞ知る行列待ちが常識の人気の店。 接客はアンマリ芳しくないとの噂もあるが、味につられて通う常連客も多いようだ。 この女性店員は二名ともフレンドリーでよく、早速 『まず、味付けザーサイ。 次にシュウマイ 』を注文。 次に 『生は無いので瓶ビール(キリン)1本・グラス2ケ! 』 の注文にもフットワーク・対応も良い。 平日・昼過ぎの空いている時間帯からか?!
41) 海員閣
(横浜中華街・香港路)
ザーサイ、美味い。 ”切り具合(大きさ、厚み)・歯ごたえ・味付け” 秀逸!
シュウマイも出てきたので、『 老酒(一合?)、燗で1本』 を注文
シュウマイが、これまた美味い。 見た目に反して、口の中で躍り胃を満たす。
間を置き注文した、”八宝菜” ”牛バラそば” も美味くて、満面笑み ♪
この2品の写真掲載は・・・・・。 ただ老酒にも合い、ついつい杯を重ねることに。
42) 横浜スタジアム
( 横浜市庁舎前 交差点から )
43) 街中の何とは無しに、魅入られたポスター