2010年4月7日水曜日

鎌倉湘南2(若宮大路・路地裏)

1) 閑静な路地裏(小町2)
宇都宮辻子(うつのみやずし)とは、鎌倉にあった小道(辻子)のひとつで、この通り付近に鎌倉幕府の有力御家人宇都宮氏の鎌倉邸があったことから宇都宮辻子と呼ばれた。1225年嘉禄元年)に鎌倉幕府御所大倉からこの地に移された(宇都宮辻子幕府)。    宇都宮辻子は、鎌倉時代鎌倉鶴岡八幡宮から由比ヶ浜相模湾)に向かって南北に延びる若宮大路の二の鳥居のすぐ南側(現住所では鎌倉市小町二丁目付近)にあった小道(辻子)で、若宮大路とその東側の小町大路の間を東西に結んでいた。下野国宇都宮社の神職で、平安時代末期に京で左衛門尉を務めるなど鎌倉幕府の有力御家人となった宇都宮朝綱宇都宮氏鎌倉の居館がこの界隈にあったことからこの名で呼ばれた。鎌倉幕府(政庁)は第3代執権北条泰時によってそれまでの大倉から宇都宮辻子に南面する北側の地に移転され、宇都宮辻子幕府と呼ばれた。現在は宇都宮辻子幕府跡に宇都宮稲荷神社が鎮座しその面影を残す。  ( 参照 from http://ja.wikipedia.org/wiki/ )

2) 閑静な路地裏(小町2)

3) 閑静な路地裏(宇都宮稲荷)

宇都宮稲荷神社は、宇都宮朝綱の祖先藤原通兼関白の曽孫宗円が、日光山宇都宮神社の別当職にあったため、当地にその分霊を勧請し、稲荷神社を建てたと云われています。神社の前には辻子幕府跡の石碑がたっており、その敷地の広さは東西、南北とも約200mだったと推定されています。 ( 参照 from http://www.esquare-kamakura.net/ )


4) 賑やかな若宮大路(JR鎌倉駅付近)

4) 若宮大路からの駅舎(JR鎌倉駅)

5) 大巧寺(だいぎょうじ) (JR鎌倉駅東口徒歩3分)
元応2年(西暦1320年)日澄上人の開山で創建され、〝おんめ様〟の愛称で親しまれ、正式には長慶山正覚院大巧寺といいます。 元は頼朝の祈願所で大行寺といって十二所の梶原屋敷にありましたが、頼朝が平家との戦いのとき、この寺で練った作戦で大勝したため大巧寺と改め、現在、地に移されました。 正面の朱色の門には「頼朝評定所」と記された碑が建てられており、また、5世住職の日棟上人が難産で亡くなった女性の霊を鎮め産女霊神として祀ったため、以来、安産の神として「おんめ様」の通称で親しまれるようになり、安産祈願に訪れる参拝客が多いといわれています。最初は真言宗でしたが、日蓮が妙本寺にいた文永11年(西暦1274年)、住持が日蓮に帰依したことから、日蓮宗に改宗し、妙本寺の末寺になりました。 鎌倉入りした直後の源頼朝がここで軍議を開き大勝した戦いは、時期的に見て、平安時代末期、治承4年10月20日(西暦1180年)の平維盛を大将とする平家の大軍と、頼朝軍が富士川で睨み合った富士川の合戦と考えられ、維盛軍は駿河国の富士川に布陣、 一方の頼朝軍は黄瀬川に布陣していました。遠く奥州平泉から弟の源義経が参陣し、兄源頼朝と感激の対面をしたことも、この時の黄瀬川の陣ででした。   ( 参照 from http://www.esquare-kamakura.net/ )
   
6) 大巧寺(元は頼朝の祈願所で大行寺から改名)

鎌倉湘南1 (鶴岡八幡宮)2010.03.13

鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,この地小林郷に移した。建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えた。源頼朝が,この高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、奥州・藤原氏も討伐し,全国60余州を平定した時であった。翌年には、征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期であった。鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていた。     (参照 from   http://www.kamakura-burabura.com/ )

01) 参道の桜芽吹く・段蔓

由比ヶ浜海岸より八幡宮へ一直線に延びる凡そ2kmの参道を、若宮大路と称します。その名は八幡宮御創建当時の「鶴岡若宮」という名称より採ったと思われ、御創建間もない養和2年(1182)、政子の安産を祈願して、源頼朝公自らの指揮のもと、御家人たちが土石を運んで築造したと、吾妻鏡は伝えています。鎌倉の街作りの一環としての若宮大路は、京都の朱雀大路を模したもの。  若宮大路の特徴は、道の中央に二筋の葛石を置き、その間を高くした「段葛」と呼ばれる形であることです。あたかも道の上に更に道を置いたように見えることから、置路・置石ともよばれており、他に類を見ないこの道は、境内と共に国の史跡に指定されております。段葛は社頭から由比ヶ浜まで続いていたのですが、後に地震の被害を受けるなどして、明治には現在の二ノ鳥居までの長さに短縮されました。しかし、大正6年の補修の際に植えられた桜並木が、四季折々の姿で、参拝する皆さんの心を和ませてくれます。現在、若宮大路には松樹の植樹が進み、往古の松並木が甦りつつあります。 (参照 from http://www.hachimangu.or.jp/walk/index.html )
02) 八幡宮交差点前(途切れない参拝者)

03) 鶴岡八幡宮正面・いざ参拝

04) 鶴岡八幡宮(源平池際の桜)

05) 鶴岡八幡宮(参道・参拝者)

06) 鶴岡八幡宮(舞殿・若宮- 左松の奥に大銀杏が)
舞殿は、本宮への石段の前に建つ、入母屋造りの建物。ここは、かって舞いの名手で、源義経の愛人であった、静御前の悲しい逸話が残っています。吉野山で捕らえられた静御前は、源頼朝に舞を命ぜられ「吉野山みねのしら雪踏み分けていりにし人のあとぞ悲しき」と義経を慕う歌を詠み舞った。これが頼朝の怒りをかい、義経の子と、自らの命を失う悲劇が生まれた。
(参照 from   http://www.kamakura-burabura.com/ )



07) 鶴岡八幡宮(流鏑馬馬場に咲く桜)
”流鏑馬”とは、奈良時代の宮廷を中心とする貴族の間で流行っていた、相撲、鷹狩、競馬(くらべうま)、騎射(うまゆみ)などの日本古来の、伝統技の(スポーツ)一種で、流鏑馬は直線120間(約218m)の走路の片側三ヶ所に設けた 『的』 を全力疾走する馬上から射る競技です。 平安時代には宮廷行事として盛んに行なわれた”流鏑馬”でしたが、武家時代に入ると兵士の修練の一つとして取り入れられ、養和元年(1181)8月、それまで簡素だった鶴岡八幡宮の宮殿が改築整備され、よく寿永元年、北条政子の安産を願い段葛(だんかずら)が造営され、鶴岡八幡宮への奉納行事とし盛んに催されたのが 『流鏑馬』 であったそうです。  (参照 from http://sssin007.com/yabusame.htm )
08) 鶴岡八幡宮(若宮大路を望む)

09) 鶴岡八幡宮(左・社務所、右・幼稚園)

10) 鶴岡八幡宮(鳥居手前左・国宝館)

2010年4月2日金曜日

江の島・湘南に春間近な気配

01) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近~片瀬海岸)

02) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近~江の島を)

03) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

04) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近~西湘を)


05) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近~江の島を)

06) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近・サーファー)

07) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近・サーファー)

08) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近・サーファー)

09) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近・サーファー)

10) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近から江の島)

11) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

12) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

13) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

14) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

15) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

16) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

17) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

18) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近・防砂林)


19) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋付近)

20) 2010.03 鵠沼海岸(竜宮橋・引地川)

21) 2010.03 鵠沼海岸駅(上り特急)

22) 2010.03 鵠沼海岸駅(下り電車)